20160529

子供の頃からです。

何かを作っていないと生きていけない。

自分で発案して作った最初の木工は忘れられません。
ヌンチャクです。雑誌の裏表紙の怪しい通販が怖くて買えなくて、
それでも欲しかった少年は、思い切って作ることにしたのです。
デッキブラシの柄にヒートンとチェーン、ノコギリとキリと紙ヤスリ。
通販で買ってたなら、スポンジかプラスチック製だったろうに、
今思い返しても、初作品にして本格的な武器なるものを作って
しまってたのが恐ろしい。

さて縫い物についての最初の記憶は中学生になってから。バッシュです。
当時発売された、エアアジョーダン5に凄まじい衝撃を受け、
ハイカットしか持っていない田舎のバスケ部員は、それでも
せめて3/4カット(当時の呼び名)を欲しがり、思い切った決断をします。
分解 カットして、千枚通しで穴を開けては針と糸とペンチで
縫い合わせたのです。

どちらもその後の使用に十分耐え、いつの間にか捨てたのか捨てられたのか
今となっては記憶だけ。(懐涙) 断っておくけど、
小学生時代のブツは練習のみで実践したことは無いので悪しからず


さてさてあれからうん10年、
数々のノーブランド手工物を経て、
先週作った革物がことのほか周りに好評だったので
調子乗ってまた新たな立体を作っています

今回実感したことは、
薄い革地はたいへん楽に縫えるということと
このステッチは、時間も糸も3倍以上かかるということ
そして無名、ノーブランドということの自由さ

20160525

いそがばまわれ

暖かくなってきたので2段階右折してます
渋滞に並んでいる普通の車よりも
右折が早い時があったりします。

歩行者にはたまに、ビックリされ
信号待ちしている車には、ニヤッとされます。
珍しいのか?変なバイクなのか?

ゆったり空気吸いながら走るのも、
考えることが違っていいものです。

そういえば八戸のご当地ナンバー
蕪島の社殿が無いの(ヒェッッ)
パース的に微妙な線だけどネ。

20160522

ねじり

オヤンジたちのタオルの扱い

きっと若者がキャップのツバを少し斜めにする
ような、大きいサイズを深くかぶるような
そんな感覚をネジリの結びで遊んでいるのだろうかと

5月の朝市におけるダンディズムはこれが正解なのかも
ボア付きミディアム丈ってのもカッコイイなあ
なんか買おうって訳でなく、完全なパトロール体制だものね

20160515

モランディ経由

岩手県立美術館にてモランディ展
素晴らしく、そして大好物な画角と目線、そして色彩
また、彼がたくさん遊んでいるのを感じた

ちょうど盛り上がっていて鼻息荒い10時10分頃、
グラッと地震があった(震度3)
とっさに目の前のどの絵を守るべきか
揺れながらちょっと真剣に考えた

選んだのは、一番遊んでいそうなやつだった

写真は震災前のとある埠頭
数ヶ月毎に行くとこの2個のブロックが少しづつ
移動していて、その度に見える風景が変わって
面白かった。自分の写真をモランディ経由で再確認

20160512

死への確信/意識/ユーモア

養老先生の死に対する確信、面白かった
ユーモアのある考えというか生き方というか・・・
そして先生なりに丁寧に言葉を選んでいた印象があった

聞いていて、やはりベルクソンの「物質と記憶」
小林秀雄の「信ずることと考えること」を思い出した
かなりまえに苦労して手に入れた小林先生の講演は
今やネット上で無料で聞けるんだね、いいなぁ現代っ子

「情報」についてもおっしゃっていた
現代では、先ずどんな情報を選ぶのかは当たり前だけど
もっと踏み込んで、どんな感覚、感知で捉え意識するのかが大事
そして、ユーモアだよね

20160509

好奇心の標準レンズ

波のリベンジ
やはり何かのきっかけを受けて少し考えて
再チャレンジする(マイペースでね)ってのが
自分の間尺に合っているかも知れない

望遠は大嫌いだったのに
デジカメプラス望遠って・・・いい感じ

でもでも、望遠は好奇心の標準レンズ
手段であってスタイルではないってのは
一応保ちたい

20160508

すもう

いい光景だった
自然に相撲するよなあ
日本人だもんなあ

大須賀

20160505

シカクイ リッタイ


隣国の経済が本格的に落ち目になる前にと
昨年、ピアノを売り払い
そのままの値でロックミシンを買った。
ピアノが座していた所は作業場となり、、

そして、自分で作り出せる物の中に
布を材料とする物という新たな選択が加わった

家人の喜びようといったらなくて
ピアノ売りを渋っていたくせに、
今ではヨイヨイと毎週 ガジガジしている次第
こちらも、今までより表現の幅がグンッと広まったらしい

かくて、ミンナ マァ〜ルク納まり
私はいま、四角い立体を作っている

20160504

雪ひら


「誰が話したのかではなく
何が語られたのかを検証しなさい

雪崩の中の雪ひらは
決して責任を感じないよ」


誰が言ったのか忘れたが、
最近のノートにメモしてあった古い人の言葉が
すごく自分の中にうごめいています

海外のニュースをみても国内のニュースをみても

20160502

4000分の1秒の波と脳

高速シャッターで撮ってはじめて解る波の一瞬
その分、凡人の脳の感知は解像度が荒いのか、
脳が不必要情報としてフィルタリングしているのか、
いくら目を凝らしても流れでしか見えてこない

いつもここで考えるのは葛飾北斎のことだ
北斎はカメラのような脳を持っていたのかしら
高解像度でズーム機能もあったりして
いわゆるゾーンに入った状態で観察していたりして
それともあらゆる流体力学を体現して・・・なんてね
種差