20140525

これから買うもの

最近は
物がなるべく残らない消費を意識するようになってきている
というのも、暗室を引き払ってから物の多さに
自分の部屋を片付けられないでいるからだ

消費と聞くと
何かを買うという事がいちばんに思いつくが
経験するとか体験するという消費もある
お金だけに限らない、時間も体力も消費の対象だ

美術館でスケッチしたり、山に登って山菜を生で試食してみたり、
夜中に地面を這って写真撮ったり、美味しい食事を食べたり
何かしら自分の糧になって消費される
経験としての消費の方が断然良いような気がする


そしてそんな心の糧はあの世に持って行けそうな気がする

自分はあとどれくらい生きる予定なのか
どんな事を経験する予定なのか

僕も含めて最近の人たちは
自身の消費のバランスを失っていると思う
こんなにも恵まれた環境にいるのにね

20140518

あるべき所に

紹介します、ボールさんです
僕の知る限りでは2年間は山頂の住人です
たぶんもっとズッとソコに居ます

ボールを持ってみると
そこに戻さなくてはいけない様な気にさせられます
そのくらい、
あるべき所に、石と同化しているかのように置いてあります

いまのところ、ただのボールさんですが
きっと彼は、いつか何かを成すことでしょう

軟式ボールでも縫い目は108つなのだろうか?

20140517

明日の自分の位置

明日のために急遽、熊鈴を作成中
山中で鈴の音とシャッター音が聞こえたら
逃げてください、撮られますヨ

鈴だけ盛岡のエルメスで仕入れ可能です

20140510

春の餃研2014

伝統の南部のひとつ残し、ではなく
もう食べられませんのほう

ニラをもらったので餃子の研究
今日の教訓
ニラたくさんでも美味い
高い肉はかえってその美味さを引き出すのは難しい
即ち、いちばん安い肉がよろしい(たぶん日本では)

頑張って最後のひとくちを押し込んだ
そんなんでも最後まで美味い

20140505

gw満喫日記_6


数日前のアスパラは
もう昨日のうちに、塩こしょう炒めとして
すでに僕の身になってしまっていた
ここ数日間の日と雨と微生物と光合成の
成果を体に取り込んだのだ

奥には菜の花、ホウレン草、ウルイ、
春のパワーを凝縮してくれている

20140503

gw満喫日記_5

久しぶりのテレビ鑑賞
見たあとに飲みに出たくなるのを抑えるのが
だんだんしんどくなって来た そんな作品

この感覚
いつも思い出す10年以上も前の感覚
毎週末深夜に放送されるラジオドラマのあと
カメラを持って出て撮影してたことを思いだす
1枚10分くらいの露光時間をボーッとしながら
何を考えるでもなくやり過ごして数枚撮るという
若い時間の使い方 少し憧れる

来週末の深夜は
飲みに出るか、撮影に出るか
何を飲もうか、レンズは24mmか
なんか両方の気がする
できれば小雨希望

20140502

gw満喫日記_4

岩手県立美術館植田正治のつくりかたへ

小さいノートと鉛筆を取り出して四角形を書いたとたん
「スケッチはやめてください」と言われた
ビックリして「では文章を書くのはいいのか?」
と訪ねたところ、それは良いのだという むむ

作品を見に行って
スケッチ禁止というのはどうゆう事か?
この写真展のタイトルは何を意味するの?

この問いとスケッチ禁止令は、おおいに鑑賞のストレスになった
ともかく、白黒写真のプリントを勉強する者として、
おおくの情報を文章で書きまくった

その場で考えついた私的な事柄、アイディア、イメージも
文章で書いた。だって自分で考えついたイメージも
おそらくスケッチだめなんでしょ?

そんな縛り事も
「ワタクシのつくりかた」のひとつとして勉強になった
やはり文章だけでは、その場での思いついたイメージは蘇らないという事