20151231

しめ縄

今年も稲ワラの香り

シャルトリューズのボトルは
底と首のすぼんだ部分が
ワラを叩く槌の代わりにちょうど良い

今年は手順を間違えなかったので
素材の状態は良い感じ
手業はまだまだな感じ(5年目)

スズメがこぼれた米粒をついばみに来てた


万全なお迎え体制

みなさん
ことしも見てくれてありがとう
良いお年を

20151229

年末行事

年末恒例の行事、餃子研究
餃子だけは批評しあっている
なんだかおかしな家族ダナと毎回思う

今回の餡は肉割合少なめで薄口の味付け
節出汁カラと小エビを入れたけどインパクト無し
あと舞茸よりしめじの方がいい味出る事がわかったよ

やはり少しずつ変えては進化する
目的はそう、ただただ旨い餃子を食いたいだけ
それが研究会

20151228

アダージェット

今年一番の心残りは
八戸市民フィルのマーラーの五番を聞き逃した事です

また今年一番 熱が入ってたのは
白黒写真の長時間露光をやりだした事



音楽や絵画には古典とか近代、現代という感覚はあるけれど
写真にも古典や近現代の感覚を意識してもいいかなと思う
これだけ写真が普及しているのなら

写真と絵画とでは歴史の長さは格段に違うし、
平面の表現としては絵画からの枝分かれで現代的なのだけど
写真にとって古典的なこの長時間露光での表現は
私の周りで見てくれる人にとっては、逆に結構新鮮なようだ

そう今やるべきは、寒いけれどアダージェット

20151227

Feeling Good

いつもお世話になっているトコの
仮装DAYに呼んでいただいた、、ぬっ?閣下?


これほど突き抜けたクオリティーの仮装集団を
今まで見た事がない。ここまで完成度が高いと、皆
胸を張って装っていられるのだな。自信に満ちていた。

そして不思議と仮装していないこちら側も、
もうこのサロン全体で一つの作品を体験しているような
心地よい感覚になっているのだった。なんでかなぁ。

一瞬見せたシュールな画面

もし僕が仮装を頼むなら(多分無いけど)
スタイリングはここに頼もうと思います(多分無いけど)

年の瀬にいいものみた。
そして今年最後の集合写真撮影は、みんないい顔していた

20151219

にせぇん じゅうぅろく

そろそろ年賀状を
猿、鳥、犬とモモタロウのお供が続くので
それも絡めようかと3年越しの計画もありましたが、
考えの準備不足につき、シンプルに今年も写真選びから

今回も強力な家人の校正に対応するたびに
デジタルの有り難さを実感することとなるでしょう

20151213

憶えているという事

青森市内のホテルの料理屋で
高校の頃の担任の先生に偶然会った

八戸の高校時代の先生と
青森の料理屋でしかも隣の席で会うなんて
偶然というのは本当にあるものだ

面白いのは
チラと見た瞬間、先生だと判ったことだ
20年前の記憶と、今見た顔の像が脳内で照合されて
チーンと瞬時に合致したと判断したのだ。
20年間ほとんと思い出していないのに(失礼‥‥)

そしてもっと素晴らしいのは先生の方だ
「先生の担任したクラスの生徒でした」と申し出た私に
ハッと立ち上がって「えの〜!」と名前で呼んでくれたのだ

あまり目立った事もしていない地味な存在の私でも
先生の脳内で、これまたチーンと的確に照合したのだ

「えの〜!」最高に嬉しかった。
憶えていてもらったという事はこんなにも嬉しいことなのか

家へ帰ってきて探し当てた通称チキマークの校章
一回出してきて、少し眺めて写真を撮った後、
トキメキと共にまたすぐしまった。

20151210

火吹きはほどほどにね

冬に向けての漬け込み
フライドポテトじゃないよ

その昔、酔っ払いに
ウォッカの火吹きやるから撮れと言われて
もうワンカットってお願いしたら
2回目の火吹きの後にぶっ倒れてしまった事がある

写真と酒のノリというものは怖いなぁ
とつくづく実感した思い出

みなさん、火吹きはほどほどにね

20151208

今夜のセット

東京都区内では規制法が施行され
明後日10日からドローン撮影禁止だそうで
たくさん飛んでいるようです

低さなら考えるけれど、
自分の目線より高いところは
撮影圏外。考えてもいなかったなぁ

岩に登って少し高いところから
最近は夜の撮影しています
今夜は普通に三脚

木を継ぎ足したパン棒と
赤いレリーズと

20151206

未知なもの

アイロン台を作るキッカケから
自分でアイロンをあてるようになり、そのキッカケから
シャツの仕立てにつて少し思い巡らすようになってきた

布で立体を作って、人間が着て表現が立つなんて
どんな世界観、感覚なのだろうか?

未知なものへの興味は、別な分野への発想源だ

数年前にパタンナーと会ったことがある
その時、彼が着ていたシャツは自分のパターンだと言っていた記憶
色々聞きたかったなぁと、今になって思う

パタンナーが着るシャツ
仕立屋が着るシャツ
中華料理屋が食べる中華料理
理容院が家で使うシャンプー
陶芸家の湯のみ

手の届きそうな未知なものへの興味

20151130

夜のセット

先日の夜のセット

これで長時間露光でも濡れた砂にズブズブ沈んでいかないハズ
ふと目を離した隙に、波にさらわれることはあっても

なんかいい存在感
優勝トロフィーとかのような持ち方しか受け付けない

20151128

売っていないものを作る

先日の披露宴のために急こしらえした
カメラレンズのための腰袋の話はさておき、

その余りの端材で何かできないかな
と思って作った細長い筒状の何かは

ペンを入れるのに丁度いいこととなった
こんな単なる筒は売っているはずもないけど
確かにペンケース、これがなかなか気に入っている

そしてこれも使い古しの細い毛筆の軸に芯を刺しただけの
手つくりボールペン
これもなかなかの細さで、その実ちょい太字でお気に入り

売っているものは何かしら付加価値をつけないと
その値段にならないし、安すぎると商売にならない
確立された機能だけのシンプルすぎるものは
高級な材やブランドじゃないと商品として成立しない世の中
なのかもね

作ることはミニマルな本質の発見なのかも

20151122

思惑?

新しいレンズは
もともとパンフォーカスだったこともあって
案外かんたんにピントが合った
校正も何もなしで試し撮り一発目でまんまと成功してしまって
なんか拍子抜け、、、た

というのも、今回が魚眼レンズ改造3本目
前作までの2本は少々手こずったのだ

110カメラレンズだけど実は後に、
135㎜で魚眼に改造することも考えられたレンズ設計

と考えると なんかその思惑の王道を
まんまと作らされた感がしてくる

これも思惑かな?前作の2本よりも
サイズ感と画のだらしなさが なんだかいちばん好きなんだなぁ

20151117

わだばティッシーさなる

ミニマリストという言葉が流行語にノミネートされるなか

ガラクタ箱から出てきた
プラスチックレンズが丁度いいフランジバック
110魚眼(わかる人にはわかる)

ちょうどサイズがぴったりだったレンズキャップが
この中で一番高価だなんてなんて、

ティッシーまでの遥かな道
もっともっと突き抜けなきゃ

レンズに名前つけようかな。Farogonってどぉ?
多分またまた丸い写真ができる予定なのよ

それはそうと、「わだば」いい言葉だ

20151114

神社で食べるたこ焼き

友人の披露宴の9時間後、深夜の神社
縁側に座ってフヤケた たこ焼き
料理も食わずに写真撮ってた証拠です

これがパターン1
パターン2はモスバーガーのセット(コーヒー)

これも美味いんだよなぁ

20151110

さあ・・・。オレ

久しぶりにカメラを興奮衝動買い
だって Lマウントのキャノンが2千円だよ

見つけてすぐ脇に挟んださ(誰にも取られまい見られまい)

こんな時代に、しかもLマウントのレンズ持ってないのに
買うのはどうなの?と買ってから自問
でも確かボデーキャップは持っていたはずだよ、と自答

さあどう遊ぶ。オレ

20151106

秋だね(4パーセント)

先週あたりから色の数が増えて
今週はグラデーションの時期
来週にはコントラストが高くなる

1年換算で2週間は4パーセントくらい
1秒の4パーセントは25分の1秒、微妙なスピード(写真界でね)
80年の人生ならば4パーセントは3年くらい

この写真は2000分の1秒

20151105

蕪島

またまた・・・(ご冗談を)
ある人から聞いた話は、
実際に見るまで信じられなかった

でも本当だった

無意識だったとしても
大切な心の引っ掛かりだったのだ
と実感するものの多くは
その存在が突然、無くなったときだ

20151103

野暮を突き抜ける

あまりにも非現実で綺麗すぎる写真を見せられて
素直にステキと見えなくて、野暮だなと感じてしまった

近年PCで現像する写真をよく見るが
そんな野暮な写真が多くなっていると思う
野暮のバランスかなぁ?見る人の好みもあると思うけど

なんて考えさせる写真拝見 の あと 初めて、
ぐれっとタワーに登った ら ば
丁度、日没と海鵜の山帰りが重なってババッと撮った。

四角のトリミング以外、何も施していない写真だけどなんかそう見えてしまう。
感覚が現代に引っ張られてる。見ている人も無意識にそんな感じなのだろうかと思う

野暮だと思うほうが野暮ってことか?
疑問は一周回ったような気がして思考停止に

でも確かに、
突き抜けた作品は色のことなんて考えさせない
考える前に感動しているのもなのよ

20151031

絶妙な板厚

りんご箱のすばらしさは、バラしてみると解ります
10ミリそこらの厚みの板と 釘20本くらいで
50から60個を支えられるのだから すごくない?

再構築してみるとさらに解る

板が薄いとりんごの重さに耐えられない
厚いと板の歪みに耐えられなくて割れるのだ
感動に価する絶妙な厚みなのだ

さて何色に塗ろうか、

20151030

名残惜し

すっかり秋だね
今年は秋の野営しなかったなあ

20151027

ズックで限界

散歩のつもりで
とある所に行ったら
その裏に小道があって
その道を行ったら
また広いところに出て
またその社の裏に小道があって
だんだんズックで限界な道になってきて
でもその先にまだまだ道があって

散歩のつもりだったのに

道中、獣の気配と蛇に会った

20151017

さて、さてさて

数年ぶりに行った防波堤。先がポキっとなっていた
自分の影とともに撮らざるを得ない状況(両岸浜辺)
この後、シッカリ濡れた

さて
八戸市立美術館のホームがリニューアルしていた(半年前から)
「写真のまち八戸」を目指すなんて知らなかった、市政公約のひとつだったんだ

さてさて
1ヶ月前に青森市まで見に行った映画が
1ヶ月後、地元で上映されるようだ、
ムムム、また見に行く事になるじゃないか嬉しいじゃないか
ついでに「ヴィヴィアン・マイヤーをさがして」も上映してくれないかなぁ
写真のまち八戸だからってのダメ?彼女も結構自分撮りしている

20151016

振り返りもせず。。

古い写真を振り返っていて出てきた1枚
2004年の異国での深夜廃墟写真
普通の怖そうな写真ですが・・・
ずっとこっち見てるんです
10分くらいの露出のあいだずっと

幽霊かな?でも撮っていてハッキリ目を合わせて
いたので実際そこにいたのだと思います。ブレもせず

今気づいたけど、もしかして印刷物だったりして
かなりビビりながら撮ってたので
確かめもせず、振り返りもせず。。
いざとなったら三脚振り回すんだと思ってた

20151014

虹を読む

撮影していたら急な雨、サッと降って晴れた

なんか虹が出そうだな
いつだったろうか深夜に見たMIT白熱教室という
TV番組での虹の授業を思い出してた

雲の中の太陽の高さと相談しながら
虹の出る方向と大きさを大体予測して
写真にちょうど良いポイントを探した
角度は45度だったかな?(正確には40.7〜42.3度)
結構大きいかも…とか考えつつ
太陽が出るのを待った

「これからは虹をみつけたなら主虹と副虹とその配色の順番、
虹の周りの空の明暗まで確かめずにはいられないだろう」
教授してくれた先生の予言通り、確かめずにはいられなく
いつもより一層感動

20151011

相談役

波から逃げるとき、ポケットからポトン
露出計を夜の海に落としてしまった

ここ10年以上、カメラはイロイロ替えても
露出計だけはフラッシュメイト、どこ行くにも一緒だった奴

とっさに三脚を安全なとこに置いて
波に入った。きっと浮いてるはず
水没してダメでもせめて受光素子は何かに使えるかも・・・
考えながらイロイロ廻ってたら、足にコツッとあたった

すぐ分解清掃乾燥(隠しネジの場所センス良い!)
完全水洗いという最終手段も考えてたけど
案外海水が入ってなかったのでそのまま乾燥

一応回復したようだけど
これからの露出の相談に影響出ないといいけど

20151009

針葉樹

壁に映る葉の影は条件が揃うと
ピントが合っているところと
ぼけているところがあります
写真のボケ具合のような表現は自然にもあるのだな

影に関しては広葉樹より針葉樹の影の方が好き

20151008

どんぐり

ドングリついでに
オノ・ヨーコさんの新しい詩集のタイトルは「どんぐり」らしい
未だ燃やしていないグレープフルーツを読み読み、図書館にリクエスト準備


さて話は変わって、
数年前に閉校になってしまった母校へ行った
校門の内側は人気がなくて寂しいが
外側の眺めは20年前の記憶と同じだ

いつもそうだけど、広角レンズで集中して構えていると
実際の近さにビックリすることがあるのよ
鼻息でレンズ曇ったさ(目にピントのときは注意です)

20151005

ドングリトライ

夕方の公園で小学生たちが、サッカーボールで
五郎丸さんの完コピ合戦に余念がない側でのへウレイカ

ドングリは種が落ちてから葉っぱが落ちるという
よく考えると当たり前なことを発見できていなかった
恐ろしや恐ろしや

20151002

チラ入れ

今までそれとなく集まったのを気分で飾れるようにと
美術展チラシのための 額(A4サイズ)を作っている

試しのチラ入れ
今のところのベストチラシはやはり
2011年の「五百羅漢/狩野一信/江戸東京博物館」

いちばん見たい六道畜生の羅漢さんのいちばんいい場面が
額に入れてくださいと言わんばかりにレイアウトされていて、
折れないように大事に持ち帰ったのを覚えている

というかこの額は
2011年からジワジワとずっと このために考えていたものだ
こんなにもゆっくりした考えで作る事もあるのだな

さて、これからこの額を
マグネットで冷蔵庫に貼るための方法を考える
スパッっとでき上がるのはいつか

20150927

カメムシ予報

先週ある人から聞いた話では
今年の冬は去年にもまして暖冬になるそうだ。

また他のある人から聞いた話によると、逆に
もの凄く雪が降るようで、大変なシーズンになるようだ
その理由を聞くと、今年は夏にカメムシが少なかったから・・
なのだそうだ。

数年前にも「ガ」が大量に発生していたから・・・
なんて言っていたけれど、はたしてカメムシ予報は当たるのか

今日のカメムシ

20150926

ハイ

久しぶりのスプレーの匂いでハイになった

そろそろスマホにしないと本当に乗り遅れるかも
という危機を感じながら、
残り少ないガラケー人生を楽しんでいる

サービス停止直前になるまでmovaを使い続けた人が
最後までFOMAを使い続ける事ができるか?ここまで来たら
なんか意味の無い意地のようなものが湧くのです
ハイ? 「 mova 」ってなにって?

20150924

セッション

友人と種差−葦毛崎の往復トレイル

ギターでも波とセッションできるのだな
もっとこの光景とセッションすれば良かったけど
腹のへり具合の方が勝ってまった

20150919

修行、行きたいな

日照は短いけれど、空気は柔らかく澄んでくる季節
写真の時期になってきました。こんな事、毎年言っているかも

「フォトグラフの語源は光で描いたもの」
先週のサルガドのオープニングの言葉だ

パフォレーションの現ムラに気付いた
ちょっと気を抜くとこれだ

レンズは最高、気候も申し分なし
そう、悪いのは自分の技量なのですよ
修行が足りないのですな

ああ、修行(キャンプ)行きたいな

20150917

C球に会う

最近会った球 種差にて

先週のシケで流れ着いたのだろう
かなりツルツルなC球
1年ぶりの遭遇

20150914

地の塩

わたしのあこがれ、セバスチャン・サルガド
ドキュメンタリーを観た。しかもヴィム・ヴェンダース監督
こんな映画をやれるなんて、さすが県庁所在地の単館

原題の「salt of the earth」にピンと来なかったけれど
後から調べて、この言葉がジワジワとつきまとってくる

すぐ帰って写真撮って、すぐ感化される

20150911

ザアザア雨

撮影はいつもメガネだけれど
今日はザアザアなのでコンタクト

カメラの方もできうる限り完璧な対策だった
のに、いつもひとつ足りない
今日ほどメガネのクモリ止めが
欲しいシチュエーションは無かった

目はコンタクトなのにレンズの古いフィルターは
拭いても拭いても曇るのだった

20150910

難民と先住民と管理人と

友人から金魚難民をもらい受けた
この時期によくある事なのだろうか?

先住民が追い回すかな?と思ったけれど
魚を入れる順番を替えたら、案外仲良くやっている

もしも隣国で戦争が起きたり、過激な思想が起きて
抗日的だった国から難民が来たら受け入れるだろうか。
言葉や宗教や思想、教育が違う国の人が大勢日本に来たら
仲良くやっていけるだろうか?と最近考えている。

誤解を恐れずに書くが、
日本人は人権というものについての議論をあまりにも
身近にしていない、道徳的な勉強不足がたくさんある
のだろうなと思う。もちろん僕も

20150902

good smell is good camera.

ドクター中松は匂いでカメラの善し悪しを判断するそうだ
なんだそりゃと思ったけれども、少し考えるとなんだか
いい判断だなというような気もする

嗅覚は人間の感覚の中で一番原始的で
脳に近い(直結している)感覚なのだそうだ
匂いで自分に合ったものかを判断するのは
一応理にかなっているのかもしれない、
本能に聞くのである、カメラであろうとも。

「good smell is good camera.」

さてなぜドクターが出て来たかというと
いよいよお役御免となったディロールの箱底にパトロネ軸の
テープ(ドクター中松の特許品)が余っていたからだった

いつもこのタグを見る度に、変てこな発明を思い出して
苦笑していたけど、この匂いの動画を今日みて尊敬度上がった
(イグノーベル賞受賞というところにも更に)

20150831

煎り豆

少し煎ってポリポリ食べるはずだった豆が
ちょっとうたた寝しているあいだに
ローストまで進んでしまったようで

ソイコーヒーに決定

大豆は縄文期にはもう栽培種だった
というような記事を最近なにかで読んだ事があるが
縄文人も土器の底に余ったこんな焦げた豆を、食べてたのかもしれない
と思うと、すり鉢でゴリゴリしながら2、3個頬張らずにはいられなくなる

苦いけど

20150828

ジドリ

近年になって、ベタ焼き(インデックスプリント)はしなくなりました
その代わり、デジタル化して大体のイメージを見ています。
これが結構いい感じなのです

いろんな意味で斬新でしょ、
だったら最初っからデジカメで撮影しろよって?
それは言わないで、、、わかるでしょ。

それにしても、みんなジドリ好きだよね。
オレもカゲで地鶏してたけど。