最近は
物がなるべく残らない消費を意識するようになってきている
というのも、暗室を引き払ってから物の多さに
自分の部屋を片付けられないでいるからだ
消費と聞くと
何かを買うという事がいちばんに思いつくが
経験するとか体験するという消費もある
お金だけに限らない、時間も体力も消費の対象だ
美術館でスケッチしたり、山に登って山菜を生で試食してみたり、
夜中に地面を這って写真撮ったり、美味しい食事を食べたり
何かしら自分の糧になって消費される
経験としての消費の方が断然良いような気がする
そしてそんな心の糧はあの世に持って行けそうな気がする
自分はあとどれくらい生きる予定なのか
どんな事を経験する予定なのか
僕も含めて最近の人たちは
自身の消費のバランスを失っていると思う
こんなにも恵まれた環境にいるのにね
20140525
20140518
あるべき所に
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20140511
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春の餃研2014
20140505
gw満喫日記_6
20140503
20140502
gw満喫日記_4
岩手県立美術館*植田正治のつくりかたへ
小さいノートと鉛筆を取り出して四角形を書いたとたん
「スケッチはやめてください」と言われた
ビックリして「では文章を書くのはいいのか?」
と訪ねたところ、それは良いのだという むむ
作品を見に行って
スケッチ禁止というのはどうゆう事か?
この写真展のタイトルは何を意味するの?
この問いとスケッチ禁止令は、おおいに鑑賞のストレスになった
ともかく、白黒写真のプリントを勉強する者として、
おおくの情報を文章で書きまくった
その場で考えついた私的な事柄、アイディア、イメージも
文章で書いた。だって自分で考えついたイメージも
おそらくスケッチだめなんでしょ?
そんな縛り事も
「ワタクシのつくりかた」のひとつとして勉強になった
やはり文章だけでは、その場での思いついたイメージは蘇らないという事
小さいノートと鉛筆を取り出して四角形を書いたとたん
「スケッチはやめてください」と言われた
ビックリして「では文章を書くのはいいのか?」
と訪ねたところ、それは良いのだという むむ
作品を見に行って
スケッチ禁止というのはどうゆう事か?
この写真展のタイトルは何を意味するの?
この問いとスケッチ禁止令は、おおいに鑑賞のストレスになった
ともかく、白黒写真のプリントを勉強する者として、
おおくの情報を文章で書きまくった
その場で考えついた私的な事柄、アイディア、イメージも
文章で書いた。だって自分で考えついたイメージも
おそらくスケッチだめなんでしょ?
そんな縛り事も
「ワタクシのつくりかた」のひとつとして勉強になった
やはり文章だけでは、その場での思いついたイメージは蘇らないという事
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